糸と天使たち

梅雨が明けた。

私の住む建物の工事は終わって、金属の足場はみんな取り払われたみたいだけど、まだ同じマンション群の周りの建物では足場を外している最中で、金属の激突音は鳴り止まない。でも日に日にしっかりとその音は遠ざかって、ここまで届く音はもう心地の良いレベルにまで減衰している。確かに時間は進んでいくと、そう感じる。

 

幸せになりたい気持ちと同時に、ずっとほんのりと不幸でいたいような気持ちもある、と誰かが言っていて、私は結構それがわかるなと思った。彼がどのような意図でそんなことを言ったのかは定かではないけど、仄かな不幸と引き換えに確かに私は、何かを得ているように感じる。それは力かもしれないし、優しさでもあるかもしれない。仄かな不幸、というやつが糸だとして、それが何かの拍子にぷつりと切れた時が、その不幸の終わりだとすれば、その糸が繋がっている先は、感情の城だ。日々様々な形の感情が、表現という形で出、享受という形で入る。しかしこれは謂わば赤子が大味に積み上げた積み木の城みたいなもので、つまりはとてつもなく脆い。複数本ある不幸の糸のすべてが切れて感情の城が決壊したとき、もう表現として外に出てゆける感情は無くなってしまうのかもしれない。糸、とは細く何らかの拍子に簡単に切れてしまいそうなイメージがあって、緊張感や不安みたいなものが糸そのものを常に取り巻いている。仄かな不幸がどこかで途切れてしまうことを、私はどこかで案じている。でもこの糸はおそらく、殆ど、切れることはないくらい、見た目の細さ以上に強固なものであることも、知っている。仄かな不幸のすべてが完全に終わることはきっとなくて、この糸は常に私の感情の城が、絶妙なバランスで成り立つのをこれから先もずっと支え続けるのだろうと思う。

糸の上を天使たちが爪先で渡り歩いている。天使たちの体重で糸はたわんでは張ってを繰り返して、感情の城は呼吸しているかのように揺れ、ざわめくように軋む。天使たちはみんな利き手にハサミを持っていて、このハサミは糸を簡単に切ってしまうのだろうと思う。彼らは暖かい目と緩い頬で微笑んで、無邪気で、どの糸を切ってしまおうか、きっと選んでいる。一本一本、人差し指でなぞってみたり、爪先でたわませてみたりしながら、吟味する。梅雨が明けた。もうハサミは糸を咥えているかもしれない。私にはそれがわからない。それ以上のことはわからない。愛しているな、とてつもなく今は。ずっと愛していたい、お願いします、どうか…