ほつれの燐光という、EP
作っている間も、作り終わってからリリースされるまでの間も、頭の中が割とぐちゃぐちゃのままだったのですが、リリースから少し経って気持ちが落ち着いてきたので、改めて『ほつれの燐光』について自分なりに、なんか、制作秘話(?)とか、考えていたこと、思い出したことを書きます。
『ほつれの燐光』は、漠然とEPを出したいという話がバンド内でずっと前からあって、それの実現に向けて動いていった結果できたものになります。曲がある程度出揃ってきたところで、これらは時間や記憶、人々の心の「ほつれ」のことを想って歌っていると言ってもいいな、と考えて、そのようなテーマで全ての曲を括ることとしました。以下、1曲ずつ色々と書いていこうかなと思います。
・ゆりかご
作詞作曲ともに私が担当しました。この曲を作り始めるとき、まず立てた目標は、「決してリード曲ではないけど愛されるB面みたいな曲を作ること」、「過去のusurahiの曲で一度も用いていないコード進行でサビを作ること」、「壮大にせず、風景として狭い自室などの狭いレンジの場所が想起されるような素朴な曲を作ること」などでした。メインの楽器としてアコギを選んだのもそういうところからの理由です。デモ時のタイトルは「場所」。私が作るとどうしても大西作曲のものと雰囲気が違ってしまうから、usurahiとして発表する上で違和感のないものを目指しつつ新鮮さも損なわない、というのがなかなか難しかったです。
歌詞では、自分の幼少期の記憶や心の状態を掘り起こして、その頃の自分が孤独と向き合っている時間や感情のことを書いています。私は物心ついたときから母子家庭で育ってきて、兄弟も年齢が離れているから、学校が終わってから家で一人でいる時間も多かったのですが、その誰もいない家に帰るまでの1人での帰り道のことを(もちろんそんな日ばかりという訳ではないけど)、やけに覚えている気がします。1人夕暮れの中帰っても1人。そんな時間と空間の中での、寂しさや楽しさ、楽しさの次に再度ふと来る寂しさ、とかを、今になって省みると、寂しくとも忘れてしまいたくない、歪な宝物のような記憶だと思いました。そういうことを忘れないために書いたかもしれません。
録音では、宅録感というか、自室で録ってるリラックス感みたいなのを出したくて、歌を夜中に自分の部屋で電気消して1人で録ったりとかしました。あとアコギの録音を手伝いに来た菅家氏が部屋の外にマイクを立てたり、ドアを開けたままで録ったりとかして、部屋鳴りごと録ろう、みたいな試みをしてました。
アウトロ、元々はフェードアウトじゃなくて、ギターソロもなくて、ひと回ししてチャラーンってすぐ終わる感じのアレンジだったんだけど、最初にデモを持って行った時に三宅がアウトロをフェードアウトにしてギターソロを入れよう、みたいな提案をくれて、わーやってみたかったやつだ、とか思ったりとかして。そのアウトロのソロ録音時の話なのですけど、ちょうどこの曲の録音はEP全体の制作の最終盤くらいで取り組んでて、三宅が他の曲とかのミックスがかなり大変なときだったんです。その時私とか大西はあらゆる録音が終わってきてて楽になりつつあるのに、三宅はこれからミックスマスタリング本腰みたいな感じで、私はそれがなんとなく不甲斐なくて、このアウトロは、「三宅!おれもまだ一緒に苦しむぞ!!!」みたいな気持ちで、ウラッって弾いて奉納した誠意のギターソロになります。やりすぎかなー?とか言ってたけど、今聴くと案外優等生な気がする。
・紗を透く祈り
作曲は大西、作詞は私です。自分たちなりに北欧感を意識したギターリフの綺麗な重なり合いをやりたくて作ってたと思います。それに伴って私が割と初期に考えたリフが北欧感に欠けるということでボツになったりとかした(おそらく一番北欧の音楽を聴いてるのは私であるのだが笑)。その代わりに三宅が提案したリフがなかなか北欧らしく(北欧らしいとはなんなのか、全然わかってない、完全に適当なことを言っているかもしれない)、とっても良くなりました。勉強になります。その癖toe(日本のバンド)を編曲のリファレンスにしてたりとかも、してた気がする。みんなtoeが大好きなので…歌は元々ところどころ今と全然違うメロディが乗ってて、サビの前半のメロディとかは私がガッツリ考え直したり、コード感は三宅が中心となって私がたくさん提案してリハーモナイズしたりして、結構面白い曲になったと思います。苛烈な再構築。1番のBメロとかは大西が考えてきたメロディが個人的にめちゃくちゃ好きで、そのまま使っています。移調ドのミレファミというメロディ、本当に好き。Bメロが良い曲はいいですね。このEPの中では最もusurahiらしい曲な気がします。
この曲は歌の録音が1番手こずりました。何度も没になったり、なかなか調子のいい日が無かったり…自分の体の調子が残酷なくらい直結する歌の録音というものの難しさをとても実感しました。力不足を感じて、メンバーの皆さんには申し訳がなかった…なんとか録音を終えることができた時は心底安心しました。よかった。このまま一生出せないかと思った。
歌詞については、少し自分でも難しいです。この曲の歌詞を書いたとき何を考えていたのか、あまり覚えていない…漠然とした思考と祈りの中で見えた風景をなんとか言語化したみたいな、結構難産だった記憶があります。終電が終わった後の最寄りの駅前を散歩してみたりして…レッドブルを飲んでいた気がします。何かと苦しい状況の中で足掻いている曲なのかもしれない。
「紗」というのは薄い布という意味で、「祈り」を「光」に見立てて、自分の纏う布や自分の部屋を覆うカーテンを透かした祈りがどこかに届いていく、みたいなイメージがあったと思います。私は光が何らかのフィルターを透過してそのフィルターとなったものと光自体とで相互に作用し合って変化するみたいな現象が、なんというか好きで、(光が薄い布を通るとぼやけて拡散したり、それでいて布の方は色味が浮き上がったり、みたいなことなど)、これはバンド名のusurahi(薄氷)にも通ずるところかもしれないですね。
・脈
EP全体の流れを考えた時に、この次のトラックの「終末」に対するインター曲のようなものをインストで作りたいということになり、私が作曲したトラックになります。ちょっとしたものでも良いから持ってきて欲しいと言われ、時間もない中、一晩でデモを作りました。なんとなく、寂れていて暗いけど美しいものを作ろうという目標があった気がします。短い時間で作ったにしては方向性のイメージが見出しやすくて良いデモが作れたと思います。「終末」に繋がるトラックとなるので、曲の調を同じにして、「終末」の一番最初のコードに上手く繋がるコードで終わらせようということはデモ制作時最初に決めていました。3拍子というリズムも「終末」のBメロから引用している、という考え方ができるかも。
この曲は編曲の段階でも他の曲と比べて圧倒的にスムーズに進みました。次々にアイデアが実装され、瞬く間にほとんど編曲が完了してしまった…usurahi史上最もスピーディにデモ制作から編曲まで終わったトラックとなりました。まあ歌のないインスト曲だから、というのはあったかもしれませんが。編曲段階で実装された主なアイデアとしては、次のトラック「終末」からのサンプリングです。どこで使われているかわかりますでしょうか。まずラスサビ(と言っていいのかわからないけど後半ドラムが入ってくるとこのセクション)に入る直前の、フォァ〜~~っていう段々デカくなってくるシンセみたいな音です。あれは「終末」のギターソロパートの音源にまるごと、とても深いリバーブをかけてできた音になります。もう一つ、ラスサビの変な音のドラムパートも「終末」からのサンプリング。再生スピードを下げ、変なエフェクトやフィルターを色々かけることで、あのような音になっています。全体のエフェクトやミックスの処理など、三宅がポストプロダクションをかなり頑張ってくれました。
この曲は、歌が入っていないけど、好きって言ってくれる人が結構多くて、インストは初めてだったけど作ってよかったです。メンバーからも人気の曲で、ちゃんと皆様に魅力が伝わっている気がする、とてもありがたいことです。
・終末
作曲大西、作詞私です。1年以上(?)くらい寝かせてしまった曲です。ライブではかなり前からやっていたけど、音源にするとなったとき編曲に納得がいかなくて、なかなか進めることができていませんでした。それでも去年とかに、本番のつもりで録音したりもしたんですけど、全てのパート。今回EPに入れる際にちゃんと納得のいくものにしたい、となったので、録ったものを一度没として、本格的に編曲のやり直しから取り組みました。主にリズム隊の演奏がリノベーションされ、デモの段階からは大幅に印象が変わりました。今になってデモを聴いたメンバーから「若いねぇ…」と感想が出るほど。なんとなく、若くてやんちゃだったものから、少し大人になった感じがします。
この曲の編曲のエピソードで印象に残ってるのは、Bメロ(3拍子の部分)において、私が考えたフレーズを大西が弾き、大西が考えたフレーズを私が弾いていたり、ラストのアウトロというか大サビ?みたいな部分のリードギターのフレーズも私が考えたものを大西が弾いていたり、します。最近になってそういうことが少し増えてきたけど、1年前とかだとなかなか珍しいことでした。ラストの大サビのリードのフレーズ、は考えた自分で言うのもなんですがかなり好きなものに仕上がりました。難しいけど。
あとドラムの編曲も印象的でした。全員で、大変頭を悩ませました…特にイントロ~Aメロあたりのドラムアレンジにずっと納得がいっておらず、サポートドラムのまれを交えてスタジオで色々考えたり、持って帰ってMIDIで考えたり、色々やってあれになりました。何も参考にするものが見つからなくて、紆余曲折。ベース編曲も当初は三宅が自分で全然納得できてなかったみたいで、めちゃくちゃ頭を悩ませていました。三宅が自分のフレーズに頭を悩ませている際は私たちは基本見守ることに徹することしか、できません。
歌詞としては、書いていた当時少女終末旅行のアニメを見始めたところから転じて、もし今自分の住む街がいつかゴーストタウンになってしまったら自分はどんな気持ちになるんだろう、ということを想像しながら書いていました。あらゆるものが朽ちても、そこから何かを拾って、永遠に大切にしたい。みたいな、自分でも漠然とはしています。ただずっと昔から、鄙びていくことや、朽ちてゆくこと、が孕む美しさや抒情性に関心があります。EPタイトルにも通じた話であり、ある種日本的かもしれません。
つづらの鍵
作詞作曲とも私です。2022年末ごろに個人的にデモを制作していた曲であり、本EP収録曲の中では最も古い曲になります。(今確認したら歌詞のテキストファイルの作成日時が2022年10月でした。)そのためusurahiがライブ活動を始めた2023年3月から長きにわたってライブでのみ演奏されてきた曲で、細かいアレンジも長い時間をかけて変遷してきました。
この曲を初めてバンドメンバーに聴いてもらったのは、2023年の初め頃でした。私は「usurahiでやれそうだったらやりたいけど、みんなはどう思うかなー」と思いながらSoundCloudにこの曲のデモをアップロードしたのですが、メンバーに「いいね!」と言ってもらえたので、このバンドでやることになりました。私が個人的に形にしていたデモ曲が正式にusurahiの曲として採用されたケースはこの曲が初めてで、それまでは全てが大西発信の曲だったので、usurahiというバンドとしてこの曲を鳴らすことに少し不安もありました。しかしその不安は、長い期間を経てメンバーでこの曲を合奏していく中で、少しずつ払拭されていくこととなりました。
多くの人は、日々、絶望し、そこから救われるという循環の中で生きていると思います。その大きさや形は様々で、一定とは言えない歪な循環かもしれません。この循環は、数多の他の循環、例えば季節の循環、昼夜の循環、始発と終電の循環、海の満ち引きの循環、呼吸の循環、などと折り重なって、ある種彩られ、循環同士お互いを彩り合っているような気がします。そんなことを考えていると、少しだけ元気になれる感じがします。この曲は、循環の渦に目を回す誰かへ寄り添うための歌でもあるかもしれないけど、誰かを救いたいとか、そんな大きなことは言えないくらい私も弱いから、自分も循環の渦に目を回す時があるから、それでもなんとかやっていこう、乗りこなせなくていいから、生きていこう、私は想っています、心はきっと寄り添っています。そんな感じかもしれません。
だからこの曲には、アウトロでまたイントロのときと同じ景色を見るような循環があるし、季節が変わるみたいに転調したり戻ったりするし、沿線が動き出す時間のこと、窓の外に海を思い浮かべること、呼吸すること、生活すること、寂しい誰かがいること、いつも通り朝が来ること、どうしようもなく季節が巡ること、そんなことに想いを馳せて作ったんだと思います。
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すべてを書けたとは言えない気がするけど、思い出せるだけのことは書いたつもりです。間違った情報があったらすみません。修正があったら追伸で書き足します。ここまで読んでいただけた方がもしいたら、本当にありがとうございました。
酒寄でした
追伸
明日(2025/8/30)のライブで「ほつれの燐光」のフィジカル版を販売します。特典のキーホルダーは友人のネコタンクがとてつもない程に試作や検証を繰り返し、完成された素晴らしいものになっています。大変な苦労があったそうです。本当に感謝。メンバーも一緒に組み立てや梱包をしました。初期ロットは一旦とてつもなく少ないけど、無くなれば増産します。新Tシャツやシールのセットも合わせて、よかったら買ってね〜!
追伸2
細かい誤字を修正しました
冬の去り際と、妄。
「気に入らないんだよお前のTwitter!!緩い言葉で天気とか食べ物のことばかりツイートして、時事ネタや流行り物に触れないで、ずっと優しくて、マイペースでしょ?自分。みたいな顔しながら、自分のツイートが一番崇高だと思ってるんだろ!!カッコつけてんじゃねーーーよ!!!そういうのが一番最悪なんだよ!!!!お前だって人並みに周りの様子窺って、視線を気にして臆病に言葉を選んで、媚びた言葉ばかりを選んで、自分の言葉なんて話さずに、話しているんだ、愚かな、馬鹿め!!!!!!!」
と、捨て台詞を吐いてそのまま冬はどこかに行ってしまった。明日降る予定の雨が早まって今日になったりして、それが春の足音みたいだった。
もうとにかく生活を面白くしていかない限りは、こんな世の中正常に生きていけやしないのだから、友達の家にタコスをもらいにいくついでに、騒ぐ。騒ぐぞオラ。と心に決めるこの電車に揺られている時間。春のことを考え始める時間。
苦しいことから逃げ続けてはいけないとの親の教えを思い出すと、音楽が時に完全な苦しみとしてこの身に降りかかってくることが嬉しくてしょうがない。無理矢理に言葉を吐き出していくと、言葉に詰まる瞬間とか、わけのわからない言葉がでてきてしまう瞬間があって、そんな状態のおれをさまざまな人に見守っていただけるというのは大変ありがたいことかもしれない。忙しくしまくらないと人生が人生でなくなり、生活が生活でなくなる気がするから、忙しくしまくる。とにかく。それがなんとなくの今の、気持ちです。
夜が寒すぎないというのは本当に嬉しい。おれは特定の季節というより、季節が変わりゆくタイミングが好きなのかもしれない。暑かった空気が冷まされていく時間、冷たかった空気が暖められていく時間、季節よりも微細で刹那的な時間である。この季節と季節の間にもあらゆる名前をつけたい。本当はあるのかもしれないけど。季節というのは、事象的には坂道のようにシームレスな連続性があるけど、実際のところ特定の名称で定義されるわけだから、人が名前をつけた瞬間坂道ではなく階段になる。そういう点は感情と似ている。細切れの季節のそれぞれの単位の呼び名をたくさん知っている人ほど、季節をより明確に繊細に体感し実感できるような気がするから、いっそ勝手に、細切れの季節のそれぞれに名前をつけまくってしまおうかな、今の季節の名を、「妄」としましょう。
秋?
夜が本当にナイスな気温になってきた。ずっとこの気温の中にいたい。こういうことになってくると、そろそろ年末が楽しみになってくる。最近のおれはというと、一昨年よりも去年の方が、去年よりも今年の方が、音楽が楽しい。大変喜ばしいことです。ほとんど全てが周りの友達のおかげなので、おれはこれから一生かけて、そういうことを感謝しなくてはいけない。もうすでに人が一生で楽しむ音楽の量を超えているくらいの満足感はあるけど、それはそれとして可能な限り今後も楽しんでいきたい。おれは宇宙で、無限だから。しかし、時間がない。結局のところそれはそれは小さな有限の宇宙だった。そういうことを3秒で思い出して、すぐさま発言を撤回する。冷静。秋の夜の冷たさがおれをそうさせる。おれは有限。生活感とはこういうところから滲み出てくるものだよね。そうして焦りを焦りのままでずっと持ち合わせながら、増えないはずの時間をあらゆる手を使って、なんとか増やしながら、擦り切れながら、たまに笑い転げながら、そういう生活を維持していきたい。
人生をやっていて嬉しいことは、好きな街が増えていくことだと思う。一度好きになったらその街がどう変わろうと、多分永遠になんだかんだ好きでいられるんだと思う。人生をかけて少しずつあらゆる街に仄かに思い出を植えていく。おれが死ぬ頃には中央線沿いは花園となっているんだと思います。その花園から少しだけ花を摘んで、おれの棺に入れて欲しい。死後硬直しているはずのおれの表情がアハ体験のスピードで少しずつ笑顔に変わりゆくと思うから。手も少しずつ、ピースの形とかになっていくと思う。あらゆる平和を一途に願う。気持ちとしては、普通に、できるだけ死にたくねー、まだ。
車内放送で「次は吉祥寺です。」って言った気がしたのに、次の瞬間何故か三鷹に着いていて本当に怖い。おれの随筆が空間を歪めて次元を超えたかもしれない。ノーベル文学賞さん、おれはここにいます。こういう場所では、デカいことをたくさん書きたい。しょうもなくて、デカいこと。始まって間もない世界に法律はないから。しかしこんなに生き生きと夜中のインターネットに言葉を書き連ねているおれも、10時間後には死んだ目で仕事をしていると思うと、どうだろう、元気を振りまけますか?こんなおれも。おれ自身も、逆に元気が出てきた次第です、もはや。そういう夜。全員で漠然と元気を出していこう。
ていうか今日昼に外歩いてて思ったけど気温25℃って全然暑い。秋か?これ、と思っていた。流石にもう秋としたいけど、ちょっと日差しが秋とは言い難い。非常に残念です。夜はとても良い感じなのにね。昼の暖かさはもう1週間くらい続きそうです。早く凍えてしまいたい。おれは全部が、凍えてからが本番なのだ。
最近
どうしようもない、雨が多い、雨はたまにでいい
大神、そろそろ終盤か?と思ってからが長い、人生みたいだ、
最近忙しい、忙しいのに、進んでいる感じがまるでしない、どこに進もうとしているのかもあんまりわかってない、無重力空間で手足をバタつかせてどこかに行こうとしている感じがあって、我ながら滑稽である、目的意識が希薄、それでも停滞しようとする時空をさせるかと突き動かすつもりで、今年も春を迎え入れる準備をする、怒涛の、準備、いろんなことが突き動くんだろうか、今年も、想像もできない、今までも想像もできないことがいくつも起こってきた
明日は晴れで、最高気温が14℃で、お天道様に感謝です、そこら辺の気温が1番好きかもです
自分じゃない誰かになりきって失ったものや失いゆくもののことを考えるとき、成り代わる対象は大抵ちいさな子供で、そこには幼い頃にのみ捉えられる特有のきらめきとか、現実離れしているはずなのに確かに存在したはずの現象の記憶が内包されていて、俺ではない、から、俺の記憶ではない、けど、俺のものにしたい記憶、ではあるかもしれない
この週末はビルフリーゼルのグッドドッグ、ハッピーマンとかいうアルバムを、延々流し続けていた、タイトルが良すぎる、内容も含めて、日常や生活の近くで、体温の近くな感じがする、体感40分だけど、実は1時間ある、人生みたいだ、俺もなりたいかもしれない、ハッピーマンに、でも、なりすぎたくはないかもしれない
冬と、約束のウィンナコーヒー
❄︎
別の世界が見えた気がして、気がついたら、ここら辺の家々もいつか廃墟になるのかな、みたいな思考が止まらなくなった。夜道 パンを2つ買って、ひとつ食べたはいいが、ふたつ目のパンを食べる気になれない、上着の大きなポケットに、突っ込んでしまえ!あの夏と共に。
あの夏を揺らした轟音と共に。
冷たそうな森よ、君は優しいか?首を横に振る木々、縦に振る木々、どこまでも空を散らかしていて、本当は私も仲間に入りたいような気がした。
❄︎
小学生の頃、学校に非常勤(?)か何かで来ていたジェシーという名の先生がいた。その人は穏やかな中年の女性で、見るからに日本人で、本名も完全なる日本人なのだが、何故かあだ名がジェシーだった。生徒たちは彼女のことを「先生」とは呼ばずに「ジェシー」と呼んでいたが、皆彼女のことをとても敬愛していて、それ故の距離の近さだった。ジェシーは芸術の分野にとても精通していた。正式には図工の先生だったのだが、ピアノやギターも演奏でき、どれも優れた技術を有していて、私にとって憧れの的であった。
ある日の図工の授業中の出来事だった。詳しい授業内容は覚えていないが、ひとり1枚、「森」の絵を描く授業だったと思う。ジェシーがある生徒の作品を褒めた。「皆に見せても良い?」と聞いて了承を得ると、その生徒の作品を皆に見せながら、「この森とても良いんですよ。どこが良いかわかりますか?」と質問した。正直上手くは見えなくて、どこが良いのか私には全くわからなかった。私は小学生の頃から自分が周りの人よりは絵が上手いことを少しずつ自覚してきていたから、その頃にはすでに幼いプライドが生まれていた。大好きな先生が他の生徒を褒めるものだから悔しくて、(俺の方が上手いし…)などと生意気なことを思っていた。
ジェシーが言った。
「答えはね、この絵の木々、全部の色が少しずつ違うんです。幹の色も葉の色も。とても綺麗よね。実はこういう景色はこの世界に沢山あります。沢山あるけど、それを見つけられる人はあまりいないの。でも先生は毎日見つけてる。皆もこういう景色を見つけられる人になるのよ。」
❄︎
12月だった。私はこの頃BUMP OF CHICKENというバンドの「宇宙飛行士への手紙」という曲にどハマりしていて、遺伝子の形が変わってしまうくらい何度も繰り返し聴いていた。この頃の私はとても陽気な性格で、学校でも休み時間中に歌を口ずさんでしまうような子供だった。突然背後から
「あら、歌が上手なのね」
と声をかけられ、思わず飛び上がってしまった。
「びっくりさせちゃった、ごめんなさいね。」
と笑うのはやはりジェシーだった。私は恥ずかしくて、嬉しかった。最近ハマってる音楽の話を一通りした後、
「ジェシーは最近どんな音楽聴いてる?」
と聞いてみた。彼女は
「私はこの時期になると毎年、山下達郎のクリスマス・イブを何度も繰り返し聴くの。」
と言って、その場でアカペラで歌ってくれた。
#
まだ消え残る君への想い
夜へと降り続く
街角にはクリスマス・トゥリー
銀色のきらめき
Silent night, Holy night
#
どこかで聴いたことがあるような気がしたけど、どこで聴いたのかは思い出せなかった。
❄︎
日々は過ぎ、私は小学校を卒業する間際となった。ある日ジェシーがクラスの前でとある話をしてくれた。
「皆は春から中学生になって、1歩大人に近づきます。だから今から、コーヒーの話をするわね。私はコーヒーが大好きなの。皆は飲んだことない人も多いかもしれないけど、これからの人生できっと巡り合うわ。」
唐突に始まったコーヒーの話にクラスの全員が困惑したはずだが、それでも皆静かにジェシーの話に耳を傾けていた。彼女が口を開けば誰もが自然と聞き入ってしまうような、そういう不思議な力があった。
「ウィンナコーヒーっていうコーヒーの飲み方があるの。オーストラリアのウィーンっていう街で始まった飲み方なんだけどね、コーヒーの上にホイップクリームを浮かべて飲むの。ふふ、子供っぽいって思ったでしょ。でもここからが本題なのよ。実はね、大人がウィンナコーヒーを飲む時は、大人だけのお約束があるの。このお約束を守って飲めば、ウィンナコーヒーを飲んでいても、あなた達は大人でいられるのよ。」
苦いコーヒーを甘くするためにホイップクリームを浮かべるだなんて、「逃げ」だと思っていたが、なんとその飲み方をしながらも、大人として認めてもらえる方法があると、そういうことなのだろうか。続けて彼女は言った。
「そのお約束はね、ウエハースでホイップクリームをすくいながらいただくことなの。大人はウィンナコーヒーを必ずこういうふうに嗜むのよ。」
憧れの的である彼女の話は、コーヒーが嫌いな私の心に強く強く焼きついたのだった。
中学生になってその後、ウィンナコーヒーを大人の嗜み方でいただこうと、数多の喫茶店を回った。しかし、ウィンナコーヒーというメニューは高頻度で発見できるのだが、ウエハースが付いてくるようなことはない。自分で作ったり持ち込んだりするのは何か負けた気がするから嫌で、店というパブリックな空間で大人として認められることが私にとって重要だから、必ず店で見つけたいのだ。そんな思いも虚しく、ついにウエハースが付属するウィンナコーヒーを見つけることはできなかった。やがて、季節だけが何度か移り変わって、私は大人に近づくにつれて、ウィンナコーヒーのお約束のことをすっかり忘れていった。
❄︎
雨は夜更け過ぎに
雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない
ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night
─
高校3年生の頃の12月だった。大学受験を控えた私は毎日のように予備校に行っていた。住んでいる街と通っている高校がある街の間くらいに位置する、寂れた街にある個人経営の予備校に通っていた。その日は昼からの予備校が終わって、夕方に帰り道を歩いていた。その日はたまたまイヤホンを外していて、静かな街の音をなんとなく聴き流しながら歩いていたと思う。やがて、遠くからゆっくりと懐かしい曲がフェードインしてきて、私はその音が最も大きく聴こえる場所で足を止めてしまった。店先の古いラジカセで山下達郎のクリスマス・イブが流れている、小さな喫茶店だった。
私は導かれるように入店し、案内のまま席に着くと、すぐにメニューの隅から視線を走らせた。もちろん探しているのはウィンナコーヒーだった。完全に蓋をしていた記憶が唐突に紐解かれて、幼い頃ジェシーと過ごした長いようで短い日々を、巻き戻されるVHSのように思い出していた。
あった。「ウィンナ・コーヒー」とだけ書かれていた。
その日、4年の歳月を経て、私はやっと、ウィンナコーヒーのホイップクリームをウエハースですくうことができたのだった。
❄︎
12月は時を進めるごとに、少しずつ下がっていく気温に追従するように、少しずつ人が減っていくような感じがする。実際はそんなことないのかもしれないけど。人とか、記憶とかが、少しずつ消えていって、それでも消えないで残ってるものもあって、そういうものを消えないように大切に思ったり、もう消えてしまったものとか、覆われてしまったものとかを必死に探したり、してるような気がする。そして、今放ってる声とか、書いた文字とか、鳴らした音とかは、いつまで残ってくれるんだろう、みたいなことをぐるりと一周だけ考えて、辞める。1日1回、冬の、刺すような冷静さが煌めく。それすらも、遠くから見たら星に見えていますように。それが誰かの瞳を光らせますように。あなたの瞳を光らせますように。
❄︎
夏と、退職と、秋と、
夏から秋までの距離は案外長い。9月という名前が夏を終わらせたように思えてからも暑さは引かず、そんなチグハグした日々が1か月弱続いたあたりで、やっと落ちていく気温と手を繋げた気がする。この夏まで、飽和した瓶みたいに隙間のない1日が多くある中で、少しずつ身や心を削ってきたと思う。張り詰めてる時間が多くの割合を占めている生活が続くと、心身に色んな不具合がもたらされることを実感して、私はなんとなく漠然とみんなの事とかが心配になる。なんともお節介で愛に溢れた思考回路である。
春先、光る輪のマスタリングをしているときに左耳の様子が少しおかしい(低い音が聴こえづらい)ことに気が付いて、でも日によって大丈夫な日も多かったし、そもそも私生活ではほぼ聴くことがない帯域なので、気にしながらも騙し騙し生活していたんだけど、7月に一度症状が強く出て、流石に通院した。低音性難聴って言われて、薬を2種類もらった。難聴って飲み薬で治すのか~、と思った。正直そのあたりから今までの生活を続けていくことに疑問を覚え始め、猛烈に会社を辞めたくなってきて、衝動的に会社を辞めた。そもそも俺はこの会社に入ったばかりの頃に適応障害で上半身全体に蕁麻疹が出て、それでも会社に行き続けることで無理やり体を環境に適応させた実績もあったので、普通に会社が自分に合ってなかったと思う。でも全くブラックというわけではなかったし、心も特別辛いというわけではなかったので、心より先に身体に症状が出るタイプなんだと思う。
8月いっぱいで前職を辞めてから2週間くらい休んだ。辞めた途端、今まで張り詰めていた色んなものが一気に緩んで、安楽死前かというくらい、何度も寿司を食べて、しばらく会ってない人たちに挨拶しに行って、何度も酒を飲んで、中野の焼き鳥居酒屋で食中毒をもらって、3年ぶりくらいに本格的に体調を崩した。食中毒による胃腸炎で免疫が下がったところに咳の風邪っぽいものにかかるお馴染みのコンボで3週間くらいずっと体調が悪かった。全然意味がわからない。みんな、身体はお大事にね。
そんなこんなで、秋の下がり始めた気温にも後押しされて、色んなものが緩み続ける一方だったけど、そこから少しずつまた、大切なことを大切なまま引き上げるように、引き締めるように、心を持ち直してゆきます。10月。夏から秋までの距離を測って、秋から冬までの距離を測る。計測を間違えないように気をつけながら、丁寧に測ります。みんなのことを想っています。
鶫
幻灯
曲を出しました。
なんだか、かなり大切な曲になりました。もちろん、和声とかリズムとかの観点で、自分たちの思う音楽的な良さを反映できたことも、録音とかエンジニアリングが自分たちの中で高い品質でまとまったことも理由としてある。でもそれだけじゃないんです、大切な理由、すみません、この曲には私の、かなり個人的な想いが秘められています。そのため私にとって一際、大切なものとなっているのです。
─────予防線
何を話して、何を話さないか、話すべきか、話さない方が美しいか、「ダサいって思っても、話した方が良いからさ~」自分に言い聞かせるみたいに言った夜、でも、この想いは誰の目にも留まらない場所で秘められることで一層輝くんじゃないか、こういう相反する思想が自分の内側で交錯して、よくはみ出して来ないな、と思う。昔の人はこのような心の機微に「葛藤」と名付けた。なるほど、その名の通り、葛(かずら)や藤(ふじ)のようなツル草の植物が心から飛び出して身体に絡まり、今にも身動きが取れなくなってしまいそうだ。でも良いよ、話すよ、隠し持ってたハサミで自由を手にしました、羽すらも。不自由な気持ち!
…
───✂︎──

大西がこの曲の1番最初のデモを持ってきたのは確か、去年の12月くらいのことで、その時の音像の状態は今よりももっと、暗めで、冷たくて、少し尖ったような印象のものだった。三宅も俺も、このデモを聴いた時の感触はかなり良くて、次はこれで行こう、とすぐに決まった。大西はこの曲のイメージとして、「抽象的なイメージしか無いけど、湖の底から、外側のぼやけた光を水面を通して見てるみたいな、ちょっと暗くて冷たいんだけど、完全なネガティブってわけではない感じ」というようなことを言っていた。私はそれを足がかりにどういう歌詞を付けるか考え始めた。
三宅が主導となってデモ曲のコード感やグルーヴをいじくり回しているうちに、以前の状態よりも少し、曲に暖かさが出てきた瞬間があった。その頃から、暗さもあるけど本質的には優しい曲なんだ、ということがわかってきて、以前大西が言っていたこの曲に対する印象も踏まえて、私はひとりの友人のことを思い浮かべていた。
幻灯の歌詞は明確に、とある友人のことを考えながら書いたものになる。その人は昔、長いこと果てしない孤独の中にいたことがあって、今になってもそういう孤独な部分の障壁みたいなものとか、暗い部分を抱えていたりするような気がする。孤独っていうのはなにも絶対的なものだけじゃなくて、ある側面のみにおける孤独とか、部分的な孤独とか、そういうものは沢山あって、多くの人が少なからず抱えているんだと思う。その人を救いたいとか、連れ出したいとか、そういう大きなことを言いたい訳じゃないけど、ただ私はずっとなんとなく、その人のそういう部分を気にしている。気にしているから、知りたいと思う。知ったつもりになろうとする。限りなく重なる…重なったつもりになる…それが、その人の果てしない孤独に寄り添うために私が選んだ手段で、だから、この曲の主人公はその友人で、歌詞は全て友人の視点で、だけど私の言葉で描いていく。
…
そうしていくうちに、私はときを超えて幽霊になって、あの日の果てしない孤独の中のあなたに取り憑く。あなたの目に映る景色とか、あなたの感情とかを写しとって、私の言葉で表して、きっとどこまでも寄り添うことができる。
そして、孤独の真ん中の暗がりに、未来から来た私の言葉を溶け込ませる。あなたの目に映る景色や感情に、私の感情が介入する。あなたがいつか辿り着く場所にあたたかい光が満ちていること、気付いて…って、気付かれないまま、祈る。
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タイトルの「幻灯」は、古い映写機「幻灯機」から引用している。これは、静止画の描かれたガラス板に強い光を当てて、レンズを通して幕などに投影するもの。遠く未来の私の祈りが、ひとりきりの部屋の窓辺まで、窓ガラスを通って増幅されるような光とか夢とかと混ざり合いながら、やっと届く、みたいな漠然とした構造を、古い映写機に喩えた。
未来の私から過去の友人に対する差し金、みたいな、気付かれてないまま届けた手紙みたいな、、声みたいな、、、そういうものを書く意味ってなんなんだろう。私がそういうものを書きたいから書いた、というのはそうなんだけど…じゃあ意味って?って問われると、結構難しいかもしれない。でも私の意思として確かなことはあって、音楽に落とし込んだ言葉もここで書いた言葉もすべて、私とその友人の間だけで終わらせる気は全く無くて、どうにか、何かしらの形で、あの曲を聴いている、この文章を見ている、すべての方々に響いて欲しいというか、誰しもが多かれ少なかれ持っている孤独な側面に塗り込む薬として少しでも作用してくれたら、私の願いは全部叶ったことになるかな、と思います。それを一旦、「意味」とさせてください。

言い切るのが怖い。まだわからない未来のこと、他人の感情のこと、自分の感情のことすらわからないから、言い切るのが怖い。だから人は自分を守るため、誠実さを欠いた逃避行動として、「言い切らない」を実行する!俺も何度このブログで、怯えるまま「言い切らない」を実行しただろう。でも、ぶっちゃけ通常はそれでも良い。優しい人は、優しいことに変わり無いのだ。でも、言い切りたい!言い切るってかっこいい。言い切ることで、誰かが少し前を向けたり、動き出せたりするかもしれないから!
そこで、ずるいことを思いついたものです。過去のあなたになら言い切り放題。わかっていること、知っていること。出会える前から愛はもう存在していること、あの光が君を見せること!いいですか!!?それにね、未来のあなたはとっても素敵なんですよ!!!とか、言ってみる…沢山、言い切ってみる…今だけでも。
usurahi - 幻灯
酒寄