海の見えない窓辺から

 

変わらない日常が続くと1日1日が本当に短くて、それが漠然と本当に怖いから、どうにかこうにか少しでも非日常な空気とか、非凡な心の動きとか、時間がゆっくり流れる静かな空間とか、そういうものに触れ続けたいような気がする。でもそういう欲求は、下がる気温に追従して冷静になっていく脳と少し矛盾するから、そういう非凡さは案外、いつもいる場所とかいつも見てる景色とかの中から見つけだせるものなのだ、という明確な根拠とかはない完全なる希望的観測でそう思い込むようにしている。感情プラシーボ効果に期待する。いつもなんとなく外を見る自宅の窓から海は見えないけど、この窓枠が切り取る景色に、海と並ぶ何かをきっと見る。

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毎年この時期は、少しずつ年末の香りが強くなってきて、切ないような、でもその切なさが少し嬉しいような、不思議な気持ちになってくる。さっきも書いたけどこの季節は暑い季節に比べてずっと冷静でいられて、それは人としてはもしかしたら少しつまらない感じになるのかもしれないけど、今年こそはそんな自分を、少しずつ肯定してみたいと思う。

ずーーっと長いこと、同じ場所や同じ感情から動けなくて本当に可愛かった私たちが、なんとか頑張って、どこか違う場所に、それぞれのタイミングで、本当に少しずつだけど動き出していくことに覚える切なさと愛おしさが、昨今の下がってきた気温と重なって、今年の年末もとてつもない情趣を生みそうです。違う場所にって言ったけど、全然、さよならというわけではなくて、今後とも、同じ景色を見ることも沢山あるよ、ありたいし。年末早く来てほしいような、ちょっとまだもう少し待ってほしいような。でもちょっとまだもう少し待ってほしいかも、あと1ヶ月とちょっとで、心が年末を受け入れる準備が整うか心配になってきた。心の準備とか関係なく、年末は来るけども。

 

冷静な自分を肯定して、冷静に冷静に、冷静でいるつもりがときにしっかりと都合の良い勘違いをしていく、そのように、期待を裏切らない、私、を、これからもよろしくお願いします。何が?って感じですけど…