最近

どうしようもない、雨が多い、雨はたまにでいい

大神、そろそろ終盤か?と思ってからが長い、人生みたいだ、


最近忙しい、忙しいのに、進んでいる感じがまるでしない、どこに進もうとしているのかもあんまりわかってない、無重力空間で手足をバタつかせてどこかに行こうとしている感じがあって、我ながら滑稽である、目的意識が希薄、それでも停滞しようとする時空をさせるかと突き動かすつもりで、今年も春を迎え入れる準備をする、怒涛の、準備、いろんなことが突き動くんだろうか、今年も、想像もできない、今までも想像もできないことがいくつも起こってきた

 

明日は晴れで、最高気温が14℃で、お天道様に感謝です、そこら辺の気温が1番好きかもです

 

自分じゃない誰かになりきって失ったものや失いゆくもののことを考えるとき、成り代わる対象は大抵ちいさな子供で、そこには幼い頃にのみ捉えられる特有のきらめきとか、現実離れしているはずなのに確かに存在したはずの現象の記憶が内包されていて、俺ではない、から、俺の記憶ではない、けど、俺のものにしたい記憶、ではあるかもしれない

 

この週末はビルフリーゼルのグッドドッグ、ハッピーマンとかいうアルバムを、延々流し続けていた、タイトルが良すぎる、内容も含めて、日常や生活の近くで、体温の近くな感じがする、体感40分だけど、実は1時間ある、人生みたいだ、俺もなりたいかもしれない、ハッピーマンに、でも、なりすぎたくはないかもしれない

 

冬と、約束のウィンナコーヒー

 

❄︎

 

別の世界が見えた気がして、気がついたら、ここら辺の家々もいつか廃墟になるのかな、みたいな思考が止まらなくなった。夜道 パンを2つ買って、ひとつ食べたはいいが、ふたつ目のパンを食べる気になれない、上着の大きなポケットに、突っ込んでしまえ!あの夏と共に。

あの夏を揺らした轟音と共に。

冷たそうな森よ、君は優しいか?首を横に振る木々、縦に振る木々、どこまでも空を散らかしていて、本当は私も仲間に入りたいような気がした。

 


❄︎

 


小学生の頃、学校に非常勤(?)か何かで来ていたジェシーという名の先生がいた。その人は穏やかな中年の女性で、見るからに日本人で、本名も完全なる日本人なのだが、何故かあだ名がジェシーだった。生徒たちは彼女のことを「先生」とは呼ばずに「ジェシー」と呼んでいたが、皆彼女のことをとても敬愛していて、それ故の距離の近さだった。ジェシーは芸術の分野にとても精通していた。正式には図工の先生だったのだが、ピアノやギターも演奏でき、どれも優れた技術を有していて、私にとって憧れの的であった。

 


ある日の図工の授業中の出来事だった。詳しい授業内容は覚えていないが、ひとり1枚、「森」の絵を描く授業だったと思う。ジェシーがある生徒の作品を褒めた。「皆に見せても良い?」と聞いて了承を得ると、その生徒の作品を皆に見せながら、「この森とても良いんですよ。どこが良いかわかりますか?」と質問した。正直上手くは見えなくて、どこが良いのか私には全くわからなかった。私は小学生の頃から自分が周りの人よりは絵が上手いことを少しずつ自覚してきていたから、その頃にはすでに幼いプライドが生まれていた。大好きな先生が他の生徒を褒めるものだから悔しくて、(俺の方が上手いし…)などと生意気なことを思っていた。

ジェシーが言った。

「答えはね、この絵の木々、全部の色が少しずつ違うんです。幹の色も葉の色も。とても綺麗よね。実はこういう景色はこの世界に沢山あります。沢山あるけど、それを見つけられる人はあまりいないの。でも先生は毎日見つけてる。皆もこういう景色を見つけられる人になるのよ。」

 


❄︎

 


12月だった。私はこの頃BUMP OF CHICKENというバンドの「宇宙飛行士への手紙」という曲にどハマりしていて、遺伝子の形が変わってしまうくらい何度も繰り返し聴いていた。この頃の私はとても陽気な性格で、学校でも休み時間中に歌を口ずさんでしまうような子供だった。突然背後から

「あら、歌が上手なのね」

と声をかけられ、思わず飛び上がってしまった。

「びっくりさせちゃった、ごめんなさいね。」

と笑うのはやはりジェシーだった。私は恥ずかしくて、嬉しかった。最近ハマってる音楽の話を一通りした後、

ジェシーは最近どんな音楽聴いてる?」

と聞いてみた。彼女は

「私はこの時期になると毎年、山下達郎のクリスマス・イブを何度も繰り返し聴くの。」

と言って、その場でアカペラで歌ってくれた。

 


#

まだ消え残る君への想い

夜へと降り続く

街角にはクリスマス・トゥリー

銀色のきらめき

Silent night, Holy night

#

 


どこかで聴いたことがあるような気がしたけど、どこで聴いたのかは思い出せなかった。

 


❄︎

 


日々は過ぎ、私は小学校を卒業する間際となった。ある日ジェシーがクラスの前でとある話をしてくれた。

「皆は春から中学生になって、1歩大人に近づきます。だから今から、コーヒーの話をするわね。私はコーヒーが大好きなの。皆は飲んだことない人も多いかもしれないけど、これからの人生できっと巡り合うわ。」

唐突に始まったコーヒーの話にクラスの全員が困惑したはずだが、それでも皆静かにジェシーの話に耳を傾けていた。彼女が口を開けば誰もが自然と聞き入ってしまうような、そういう不思議な力があった。

「ウィンナコーヒーっていうコーヒーの飲み方があるの。オーストラリアのウィーンっていう街で始まった飲み方なんだけどね、コーヒーの上にホイップクリームを浮かべて飲むの。ふふ、子供っぽいって思ったでしょ。でもここからが本題なのよ。実はね、大人がウィンナコーヒーを飲む時は、大人だけのお約束があるの。このお約束を守って飲めば、ウィンナコーヒーを飲んでいても、あなた達は大人でいられるのよ。」

苦いコーヒーを甘くするためにホイップクリームを浮かべるだなんて、「逃げ」だと思っていたが、なんとその飲み方をしながらも、大人として認めてもらえる方法があると、そういうことなのだろうか。続けて彼女は言った。

「そのお約束はね、ウエハースでホイップクリームをすくいながらいただくことなの。大人はウィンナコーヒーを必ずこういうふうに嗜むのよ。」

憧れの的である彼女の話は、コーヒーが嫌いな私の心に強く強く焼きついたのだった。

中学生になってその後、ウィンナコーヒーを大人の嗜み方でいただこうと、数多の喫茶店を回った。しかし、ウィンナコーヒーというメニューは高頻度で発見できるのだが、ウエハースが付いてくるようなことはない。自分で作ったり持ち込んだりするのは何か負けた気がするから嫌で、店というパブリックな空間で大人として認められることが私にとって重要だから、必ず店で見つけたいのだ。そんな思いも虚しく、ついにウエハースが付属するウィンナコーヒーを見つけることはできなかった。やがて、季節だけが何度か移り変わって、私は大人に近づくにつれて、ウィンナコーヒーのお約束のことをすっかり忘れていった。

 


❄︎

 


雨は夜更け過ぎに

雪へと変わるだろう

Silent night, Holy night

きっと君は来ない

ひとりきりのクリスマス・イブ

Silent night, Holy night

 


高校3年生の頃の12月だった。大学受験を控えた私は毎日のように予備校に行っていた。住んでいる街と通っている高校がある街の間くらいに位置する、寂れた街にある個人経営の予備校に通っていた。その日は昼からの予備校が終わって、夕方に帰り道を歩いていた。その日はたまたまイヤホンを外していて、静かな街の音をなんとなく聴き流しながら歩いていたと思う。やがて、遠くからゆっくりと懐かしい曲がフェードインしてきて、私はその音が最も大きく聴こえる場所で足を止めてしまった。店先の古いラジカセで山下達郎のクリスマス・イブが流れている、小さな喫茶店だった。

私は導かれるように入店し、案内のまま席に着くと、すぐにメニューの隅から視線を走らせた。もちろん探しているのはウィンナコーヒーだった。完全に蓋をしていた記憶が唐突に紐解かれて、幼い頃ジェシーと過ごした長いようで短い日々を、巻き戻されるVHSのように思い出していた。

 


あった。「ウィンナ・コーヒー」とだけ書かれていた。

 


その日、4年の歳月を経て、私はやっと、ウィンナコーヒーのホイップクリームをウエハースですくうことができたのだった。

 


❄︎

 


12月は時を進めるごとに、少しずつ下がっていく気温に追従するように、少しずつ人が減っていくような感じがする。実際はそんなことないのかもしれないけど。人とか、記憶とかが、少しずつ消えていって、それでも消えないで残ってるものもあって、そういうものを消えないように大切に思ったり、もう消えてしまったものとか、覆われてしまったものとかを必死に探したり、してるような気がする。そして、今放ってる声とか、書いた文字とか、鳴らした音とかは、いつまで残ってくれるんだろう、みたいなことをぐるりと一周だけ考えて、辞める。1日1回、冬の、刺すような冷静さが煌めく。それすらも、遠くから見たら星に見えていますように。それが誰かの瞳を光らせますように。あなたの瞳を光らせますように。

 


❄︎

夏と、退職と、秋と、

夏から秋までの距離は案外長い。9月という名前が夏を終わらせたように思えてからも暑さは引かず、そんなチグハグした日々が1か月弱続いたあたりで、やっと落ちていく気温と手を繋げた気がする。この夏まで、飽和した瓶みたいに隙間のない1日が多くある中で、少しずつ身や心を削ってきたと思う。張り詰めてる時間が多くの割合を占めている生活が続くと、心身に色んな不具合がもたらされることを実感して、私はなんとなく漠然とみんなの事とかが心配になる。なんともお節介で愛に溢れた思考回路である。

春先、光る輪のマスタリングをしているときに左耳の様子が少しおかしい(低い音が聴こえづらい)ことに気が付いて、でも日によって大丈夫な日も多かったし、そもそも私生活ではほぼ聴くことがない帯域なので、気にしながらも騙し騙し生活していたんだけど、7月に一度症状が強く出て、流石に通院した。低音性難聴って言われて、薬を2種類もらった。難聴って飲み薬で治すのか~、と思った。正直そのあたりから今までの生活を続けていくことに疑問を覚え始め、猛烈に会社を辞めたくなってきて、衝動的に会社を辞めた。そもそも俺はこの会社に入ったばかりの頃に適応障害で上半身全体に蕁麻疹が出て、それでも会社に行き続けることで無理やり体を環境に適応させた実績もあったので、普通に会社が自分に合ってなかったと思う。でも全くブラックというわけではなかったし、心も特別辛いというわけではなかったので、心より先に身体に症状が出るタイプなんだと思う。

8月いっぱいで前職を辞めてから2週間くらい休んだ。辞めた途端、今まで張り詰めていた色んなものが一気に緩んで、安楽死前かというくらい、何度も寿司を食べて、しばらく会ってない人たちに挨拶しに行って、何度も酒を飲んで、中野の焼き鳥居酒屋で食中毒をもらって、3年ぶりくらいに本格的に体調を崩した。食中毒による胃腸炎で免疫が下がったところに咳の風邪っぽいものにかかるお馴染みのコンボで3週間くらいずっと体調が悪かった。全然意味がわからない。みんな、身体はお大事にね。

 

そんなこんなで、秋の下がり始めた気温にも後押しされて、色んなものが緩み続ける一方だったけど、そこから少しずつまた、大切なことを大切なまま引き上げるように、引き締めるように、心を持ち直してゆきます。10月。夏から秋までの距離を測って、秋から冬までの距離を測る。計測を間違えないように気をつけながら、丁寧に測ります。みんなのことを想っています。

 

幻灯

 

曲を出しました。

 

なんだか、かなり大切な曲になりました。もちろん、和声とかリズムとかの観点で、自分たちの思う音楽的な良さを反映できたことも、録音とかエンジニアリングが自分たちの中で高い品質でまとまったことも理由としてある。でもそれだけじゃないんです、大切な理由、すみません、この曲には私の、かなり個人的な想いが秘められています。そのため私にとって一際、大切なものとなっているのです。

 

─────予防線

何を話して、何を話さないか、話すべきか、話さない方が美しいか、「ダサいって思っても、話した方が良いからさ~」自分に言い聞かせるみたいに言った夜、でも、この想いは誰の目にも留まらない場所で秘められることで一層輝くんじゃないか、こういう相反する思想が自分の内側で交錯して、よくはみ出して来ないな、と思う。昔の人はこのような心の機微に「葛藤」と名付けた。なるほど、その名の通り、葛(かずら)や藤(ふじ)のようなツル草の植物が心から飛び出して身体に絡まり、今にも身動きが取れなくなってしまいそうだ。でも良いよ、話すよ、隠し持ってたハサミで自由を手にしました、羽すらも。不自由な気持ち!

───✂︎──

 

f:id:blindtsugu:20230617000511j:image

 

大西がこの曲の1番最初のデモを持ってきたのは確か、去年の12月くらいのことで、その時の音像の状態は今よりももっと、暗めで、冷たくて、少し尖ったような印象のものだった。三宅も俺も、このデモを聴いた時の感触はかなり良くて、次はこれで行こう、とすぐに決まった。大西はこの曲のイメージとして、「抽象的なイメージしか無いけど、湖の底から、外側のぼやけた光を水面を通して見てるみたいな、ちょっと暗くて冷たいんだけど、完全なネガティブってわけではない感じ」というようなことを言っていた。私はそれを足がかりにどういう歌詞を付けるか考え始めた。

三宅が主導となってデモ曲のコード感やグルーヴをいじくり回しているうちに、以前の状態よりも少し、曲に暖かさが出てきた瞬間があった。その頃から、暗さもあるけど本質的には優しい曲なんだ、ということがわかってきて、以前大西が言っていたこの曲に対する印象も踏まえて、私はひとりの友人のことを思い浮かべていた。

 

幻灯の歌詞は明確に、とある友人のことを考えながら書いたものになる。その人は昔、長いこと果てしない孤独の中にいたことがあって、今になってもそういう孤独な部分の障壁みたいなものとか、暗い部分を抱えていたりするような気がする。孤独っていうのはなにも絶対的なものだけじゃなくて、ある側面のみにおける孤独とか、部分的な孤独とか、そういうものは沢山あって、多くの人が少なからず抱えているんだと思う。その人を救いたいとか、連れ出したいとか、そういう大きなことを言いたい訳じゃないけど、ただ私はずっとなんとなく、その人のそういう部分を気にしている。気にしているから、知りたいと思う。知ったつもりになろうとする。限りなく重なる…重なったつもりになる…それが、その人の果てしない孤独に寄り添うために私が選んだ手段で、だから、この曲の主人公はその友人で、歌詞は全て友人の視点で、だけど私の言葉で描いていく。

 

そうしていくうちに、私はときを超えて幽霊になって、あの日の果てしない孤独の中のあなたに取り憑く。あなたの目に映る景色とか、あなたの感情とかを写しとって、私の言葉で表して、きっとどこまでも寄り添うことができる。

そして、孤独の真ん中の暗がりに、未来から来た私の言葉を溶け込ませる。あなたの目に映る景色や感情に、私の感情が介入する。あなたがいつか辿り着く場所にあたたかい光が満ちていること、気付いて…って、気付かれないまま、祈る。

──────

 

タイトルの「幻灯」は、古い映写機「幻灯機」から引用している。これは、静止画の描かれたガラス板に強い光を当てて、レンズを通して幕などに投影するもの。遠く未来の私の祈りが、ひとりきりの部屋の窓辺まで、窓ガラスを通って増幅されるような光とか夢とかと混ざり合いながら、やっと届く、みたいな漠然とした構造を、古い映写機に喩えた。

 

 

未来の私から過去の友人に対する差し金、みたいな、気付かれてないまま届けた手紙みたいな、、声みたいな、、、そういうものを書く意味ってなんなんだろう。私がそういうものを書きたいから書いた、というのはそうなんだけど…じゃあ意味って?って問われると、結構難しいかもしれない。でも私の意思として確かなことはあって、音楽に落とし込んだ言葉もここで書いた言葉もすべて、私とその友人の間だけで終わらせる気は全く無くて、どうにか、何かしらの形で、あの曲を聴いている、この文章を見ている、すべての方々に響いて欲しいというか、誰しもが多かれ少なかれ持っている孤独な側面に塗り込む薬として少しでも作用してくれたら、私の願いは全部叶ったことになるかな、と思います。それを一旦、「意味」とさせてください。

 

f:id:blindtsugu:20230616002101j:image

 


言い切るのが怖い。まだわからない未来のこと、他人の感情のこと、自分の感情のことすらわからないから、言い切るのが怖い。だから人は自分を守るため、誠実さを欠いた逃避行動として、「言い切らない」を実行する!俺も何度このブログで、怯えるまま「言い切らない」を実行しただろう。でも、ぶっちゃけ通常はそれでも良い。優しい人は、優しいことに変わり無いのだ。でも、言い切りたい!言い切るってかっこいい。言い切ることで、誰かが少し前を向けたり、動き出せたりするかもしれないから!

そこで、ずるいことを思いついたものです。過去のあなたになら言い切り放題。わかっていること、知っていること。出会える前から愛はもう存在していること、あの光が君を見せること!いいですか!!?それにね、未来のあなたはとっても素敵なんですよ!!!とか、言ってみる…沢山、言い切ってみる…今だけでも。

 

usurahi - 幻灯

https://linkco.re/SS6ExVX7

 

つづら霊園

雲間のパンク

心が閉じていて無風の時、何も生まれなくて最も心地いい ずっとこのままでいたいと思いたくないけど思ってしまうのがなかなか怖くもあって、どうしたものでしょうか ガチャガチャ ドアノブが壊れました


他人の生活の苦しみの加減をわかったつもりになって比べるのも羨むのも寄り添うのも全て完全に無駄である(本当は誰がどれくらい何を抱えているかなんてわからないため)、みたいな主張を、かなり平凡で長閑で当たり障りない生活をしている俺が言ったところで完全に本当に意味が無かったり、こういう、自分の立場によって意味や力を失ってしまう言葉に対して、何をお供えすれば、綺麗に光って成仏していただけるのか?


一向に免許の更新に行けない、今年の夏もサンダルを買えない、他人に寄り添うような柔らかな気持ちを押し出せない、だって俺が寄り添いたいのは他人じゃないから、俺が寄り添いたい人はこの世界にほんの少ししかいないから、この人たちは決して他人じゃないから、


広く人の心に自分から出た言葉とか音が波及していくことに今更怖気付いてしまった、簡単に間違うし、簡単に誤解される、自分のことを深く知ってくれている人だけじゃないというのは本当に怖いぜ、だけどだからって、あのパン屋が良いとか、あの空が綺麗とか、あのナイフは鋭いとか、みたいなくだらないこと くだらなくて普遍的で素晴らしいけど、それだけじゃなくてもっと激しくて 甘くて 個人的で 個人的すぎて いわばパンクで パンクをやろうと思う、おれは パンク屋さん 東京都八王子市 この町に1人の職人がいます パ ン ク 職 人 で す


マジで凹んでいます 永遠に遠くまで暗くて秘められた国の底で理由も無くシュークリームを16個食べました、相槌をうちたい 相槌だけうって、あとはひゅるひゅる回転する雲になってその隙間をあなたの指が駆け巡ってよね

 

 

チラシ

朝にもっちり米粒パンを食べたら少し元気が出た気がする、つぶあん&ホイップ 甘い&甘い 朝は糖分が良いってどこかで聞いたから、そのようにして自己暗示して調子良くなりますように、って思う。

 


デロンギヒーター 無力すぎるよー〜〜ってたびたび言うんだけど俺が全然温度上げてないだけ。温度上げればあったかくなること誰よりわかってる。それでも上げないで、寒い寒い言ってる時がある。俺ってなんなんだろう、深く考えずに純粋に温度を上げる。重さのないつまみを捻るだけ、あげた感がない、でもめっちゃあったかくなる チグハグ感、いつも2のところになってるつまみを4.5のところまで回す、このような形で俺もパワーが調整できたらいいのに、、

 


今日はこれと言って実りのあることはなにもしてない。休日です。片耳のひっくり返った犬に挨拶、夜ご飯食べマシーン、茶飲み大夫、

好きだなと思うギターソロ 真似して弾いてみる 2小節以降まったくもって弾けませんでした、投げました、歪みエフェクターとプリアンプがIFを通って出てくる音色だけ一丁前である 悲しくなる

それはそうと昨日までの俺は中々えらく、爪を整え保湿する、人に必要な連絡をする、生活の雑務をこなす、曲をデモに起こしかける、来たる年末に思いを馳せる、

 


今一度ひっくり返った亀を想像してみてほしい 良いですか?それが俺です あなたはそんな俺を前にしてどうしますか?こういう問いがね、最も大切ですよ。これ以外の問いはそこまで大切ではありません。

 


慣れない人と喋ることになんだか最近小慣れていて、そんなことに小慣れたくない、と強く思った。波があるものだと思うけど、何にかはよくわからないけど漠然とそんな なにか に染まりたくない 染まりたくないってありきたりで平凡な欲望だけど、まっすぐにそう思う 真っ直ぐとはなんだ、歪みに際して真っ直ぐな場合 それは真っ直ぐか?

 


書き進めるごとに文章がより気持ち悪く、より脈絡無くなってきたので一度冷静になる。それはそれは冷え切った冬の午前5時40分の外気のように、今俺は冷静である。これからお前の手の温度を根こそぎ奪い取りに行く。真冬の午前5時40分の外気は瞬く間にお前の手を愛おしく握り締め、ただでさえ白いその手を、より一層白く、そういう愛し方で良いんだと思いますか?僕が総理大臣になったら手袋の着用を禁止します 人々が真冬に手を繋ぎたくなるように、限りなく野田洋次郎に近い、ニセ野田洋次郎か俺は。

海の見えない窓辺から

 

変わらない日常が続くと1日1日が本当に短くて、それが漠然と本当に怖いから、どうにかこうにか少しでも非日常な空気とか、非凡な心の動きとか、時間がゆっくり流れる静かな空間とか、そういうものに触れ続けたいような気がする。でもそういう欲求は、下がる気温に追従して冷静になっていく脳と少し矛盾するから、そういう非凡さは案外、いつもいる場所とかいつも見てる景色とかの中から見つけだせるものなのだ、という明確な根拠とかはない完全なる希望的観測でそう思い込むようにしている。感情プラシーボ効果に期待する。いつもなんとなく外を見る自宅の窓から海は見えないけど、この窓枠が切り取る景色に、海と並ぶ何かをきっと見る。

f:id:blindtsugu:20221113230955j:image

 


毎年この時期は、少しずつ年末の香りが強くなってきて、切ないような、でもその切なさが少し嬉しいような、不思議な気持ちになってくる。さっきも書いたけどこの季節は暑い季節に比べてずっと冷静でいられて、それは人としてはもしかしたら少しつまらない感じになるのかもしれないけど、今年こそはそんな自分を、少しずつ肯定してみたいと思う。

ずーーっと長いこと、同じ場所や同じ感情から動けなくて本当に可愛かった私たちが、なんとか頑張って、どこか違う場所に、それぞれのタイミングで、本当に少しずつだけど動き出していくことに覚える切なさと愛おしさが、昨今の下がってきた気温と重なって、今年の年末もとてつもない情趣を生みそうです。違う場所にって言ったけど、全然、さよならというわけではなくて、今後とも、同じ景色を見ることも沢山あるよ、ありたいし。年末早く来てほしいような、ちょっとまだもう少し待ってほしいような。でもちょっとまだもう少し待ってほしいかも、あと1ヶ月とちょっとで、心が年末を受け入れる準備が整うか心配になってきた。心の準備とか関係なく、年末は来るけども。

 

冷静な自分を肯定して、冷静に冷静に、冷静でいるつもりがときにしっかりと都合の良い勘違いをしていく、そのように、期待を裏切らない、私、を、これからもよろしくお願いします。何が?って感じですけど…